包み紙を剥いだら

結構予想と違ったり。

私にとってのKAT-TUNは親戚のようなものだった。

勢いで書きなぐったから本当に文がめちゃくちゃです。堪忍やで。
高校一年生となった小娘の戯れ言です。麦茶のようにさらっと飲み流してくれると麦茶な私も幸せです。





私にとってのKAT-TUNは親戚のようなものだった。
すみません、でもふざけてません。
私は物心ついた時からKAT-TUNのライブDVDの流れる家で過ごしていた。
すべては幼稚園の頃の母のジャニヲタ落ちから始まった。
幼稚園の送迎バスを降りて、ただいまとリビングへ行くと、決まってねばあげが流れていた(NEVER AGAIN)
私は幼稚園の頃のプロフィールのところに、『すきなうたは、ねばあげ』と書いていたくらいだ。
緑のレーザーが画面に流れて(リアフェ魂)、少し暗めでセクシーなイントロが流れる。
これが私の日常だった。
私は別に特別KAT-TUNが好きだったわけじゃない。
親戚感覚だ。
だからふざけてませんって。
家に帰って、たまに遊びに来ている母の弟、とか、いとこ、とか。
そんな親戚感覚だ。「あー、また来たんだ」みたいな。
ねばあげもハルカナも、好きというより完璧に歌えるほど知っている曲、みたいな。
ねばあげとか、なんか暗い感じの曲で、聞くと若干憂鬱になってた。
でも、なんだかんだ好きだった。歌詞が聞き取れなくて、サビとか「ゆーねばなばねーばなーばげぇー」て歌ってた。耳コピ
最初に覚えたメンバーは上田竜也。理由は可愛いから。
黒髪で長めで可愛かったから。
可愛かったから、「たちこちゃん」て呼んでた。
帰ってきて、テレビに映ってたら「あ!たちこちゃんたちこちゃん!!!」て叫んでた。
本当に上田竜也が理想で、こうなりたいって思ってた。幼き頃の私マジジェンダーレス。
その次に覚えたのが田口淳之介。理由は癖がすごかったから。ノブじゃないよ。
歌い方の癖があったので、一時期ずっと真似してた。多少私の歌唱力に影響を与えてた。じゅんの、と呼んで、彼が発言するたびにケタケタ笑ってた。たちこちゃんが憧れなら、じゅんのは王子様だった。
サムライ☆ラブ☆アタックを本気でかっこいいと思って、何度も見て、聴いた。
王子様みたいだと思った。幼稚園で読んだ絵本の中の気取ったつまらない王子様よりもずっと王子様だった。白馬が似合うのは世界で彼一人だと本気で思ってた。幼稚園の頃の私の頭は純粋だ。純粋だから、オタクというものに縛られずに、アイドルという存在に縛られずに、ひとりの人間として彼を好きだと言っていた。全然恥ずかしくなかった。

そこから段々周りにKAT-TUN好きを公言する友達が増えてきた。自分のことのように嬉しかったのを覚えてる。
小学2年くらいの頃。
私のボロボロで音の悪いアナログな録音プレーヤーには、お気に入りのKAT-TUNの曲がたくさん入っていた。
家にDVDが増えて、母が夜コンサートに行くことも増えて、当然団扇やペンライトも増えた。母は仁亀が大好きで、特に亀梨和也が大好きだった。
どこが好きかと聞くと、必ず「顔と心」と答えていた。彼の顔と心が好きだと。
そんな母でも、赤西仁には叶わなかった。目の前に亀梨和也がトロッコで来ても、赤西仁が歌い出すと震えるくらい心を奪われるらしい。
赤西仁はもう別の何かだ、と言っていた。

そんな母を尻目に、私はコンサートに行かず、お留守番してた。
会ったらいけないと思っていたからだ。
いくら私にとって親戚のような彼らでも、彼らにとってはそうじゃないからだ。
コンサートに行ったらそこから私の中で彼らの存在が変わってしまうから、断固として行きたくなかった。
一生親戚のままでいて欲しいという我儘だった。
それからなんやかんやあって、赤西仁をニュースや朝の報道番組でえらい見かけるようになった。
「あ、結婚すんの?おめでとー」
くらいの感じで、学校に行った。
そしたら友達が泣いてた。
隠れて持ってきていた携帯電話で情報をあさりながら泣いてた。
KAT-TUNが五人になっても、全然悲しくなかった。子供だったから。
KAT-TUNが無くなるわけじゃないんでしょ?ならよかった。
六人のKAT-TUNはもちろん大好きだった。並んだ時の強さも、KAT-TUNが好きだといった時の、自分の戦闘力が上がる感じも好きだった。
私は六人のKAT-TUNというより、KAT-TUNが好きだった。KAT-TUNで一人の人だ。ふたりはプリキュアみたいな(ちがう)
KAT-TUNの曲、KAT-TUNの人、KAT-TUNの色、KAT-TUNの…というだけで理由なく好きだった。
これはもう幼いころからの母からの洗脳の賜物だと思ってる。マジで。
今になって、アイドルと宗教は等しいんんではないかと気付いた。
まぁ五人になったKAT-TUNも相変わらず好きだった。
おんぼろプレーヤーの中にもKAT-TUNの曲がさらに増えた。
特にRIGHT NOWやPERFECTが大好きだった。ねばあげのような暗い曲を頭の片隅で想いながら、爽やかなKAT-TUNの曲を聴いていた。その謎の背徳感さえ好きだった。
in the darkは本命だった。
そして私の年齢が上がるにつれて、昔聴いてたKAT-TUNの曲は次第に薄れていく。
今現在のKAT-TUNの曲に囲まれて、忘れていった。
改めて言うけど、私はこの時点でもKAT-TUN命のオタクではない。まだ親戚だ、生活のBGMだ。
本人たちに会いたいとは思ってない。
「あ、また来てたの、ならついでに遊んでよー」とか、そんな感覚。
自ら遊びに行くという考えはなかった。
まぁまた月日が流れて、四人のKAT-TUNが誕生した。
相変わらずKAT-TUNが好きだった。
このころ私は小学5年か6年。自分の中で物事がくっきり見えてくる年だ。
そうなると、前みたいに流せなくなった。
聖のラップが聴けなくなるのは悲しい。
脱退の意味を知った。
そういえば、もう仁ちゃんの歌声を聴くことはできないんだ。
今現在の二人はもうKAT-TUNじゃない。
CDやDVDでしか彼らを知らないから、私にとって今現在などあって無いようなものだと今までは思っていたけど、なかなかそう思えなくなっていた。
成長したのか。
そして意識してKAT-TUNを見ることになった。
自ら遊びに行くようになったのだ。
進んでテレビに映るKAT-TUNを見た。
【今】にこだわるようになった。
ミニアルバム『楔-kusabi-』が出て、母が何回も聴いていた。
「僕なりの恋」が好きだと言っていた。
私はテレビに出るKAT-TUNを自ら見た。
4人になっても好きだった。たちこちゃんが段々たちこちゃんじゃなくなっていっても、私の中では「たちこちゃん」だった。髪を切っても、髪を立たせても、KAT-TUNとして立つ、たちこちゃんは憧れだった。
そして4人になってもずっと変わらず王子様なじゅんのが好きだった。
そっからまたいろいろあって、周りにジャニーズWESTのファンが増えてきた頃に、さすがの私も死んだ。
塾が終わって、迎えに来た母が「残念なお知らせがありまーす!」と若干ハイな感じで私にじゅんのの脱退を知らせた。
今までの二人がどうでもよかったとかそんなんじゃない。今KAT-TUNが六人いて、二人が抜けたら私は死んだ。
私が成長したから、脱退により死んだのだ。
昔はKAT-TUNKAT-TUNなら好きだと気にせずにいられた。事態を事細かく把握してなかったから心からそういえた。情報の波に溺れることがなかったから。
今は情報が溢れてる。その中でじゅんのが脱退する。
もちろん情報が溢れる。私はそれに溺れる年齢になった。
情報に溺れて、彼らが分からなくなってしまった。
脱退の理由など、嘘か本当かわからない事まで耳に入ってしまう。
じゅんのがあと一年もしないうちにKAT-TUNじゃなくなる。
悲しかった。けど、それ以上に情報に惑わせられる自分が悲しくなった。
事実は彼らの口から聞こえる言葉で十分だったはずなのに。
理由なんて知らなくてよかった。
仁ちゃんの結婚はおめでたかったけど、それより事務所が嫌で辞めたとか、聖も事務所が嫌だったとか、じゅんのもそうだったとか、そういうの、あまり知らなくていいことだ。
なにより、今までのキャラが嘘だったかもしれないこととか、心底どうでもいい。
どうでもよさすぎで泣いた。
私はKAT-TUNを通して、なぜか世の中の嫌な部分まで知った。
目の前で遊んでくれている親戚のお兄さんが、本当は無理して遊んでくれてたことなんか知らなくていい。
それをわざわざ私に教えて、なんになるんだろう。嘘を暴いてくれてありがとう、なんていうと思ったのか。
KAT-TUNが親戚じゃなくて、アイドルだということを、会って知るんじゃなくて、どこかの顔も知らない大人たちによって突き付けられた。
でもそんなことはどうでもいい。私は三人になってもKAT-TUNが大好きだった。ふとテレビを見てて、こっちは怖いくらい彼らのことを知ってるのに、彼らは私のことを知らないことが不思議で堪らなくなった。こんなことを言ったら頭のおかしいオタクと思われるかもしれないけど、アイドルとか、そんなの抜きにして、私が彼らをただの人として見ていた名残りだ。遠い人だということに今気付いた。遅い。
意外と半分になってもKAT-TUNKAT-TUNのままで、私は驚いた。彼らがKAT-TUNだと名乗れば誰が何と言おうとKAT-TUNなのだ。
今現在KAT-TUNは三人で、充電期間で、ソロで活動している。
ぶっちゃけ実感ない。一年も経ってるのに、充電どころか爆発してる。なんか周りの人も巻き込んで核融合反応起こしてる。
私はhyphenになった。hyphenであることに気付いた。
今までのKAT-TUNの曲を、知らなかったカップリング曲を、毎日聞いている。そして、前よりKAT-TUNのことを考えるようになった。ネットでKAT-TUNと調べることが多くなった。
ネットや周りを気にせず、ただKAT-TUNが好きだった頃とは変わり、私は世間でKAT-TUNがどのように評価されているのか気になった。よく遊んでもらったつもりの親戚は、とんでもない人たちだった。知ってたけど。数は大事だった。目に見えて彼らの凄さが分かった。悲しいけど。
久しぶりにねばあげを聞いて、幼稚園の頃を思い出して、プロフィールの紙を引っ張り出して、泣いた。
純粋に彼らを見ていた頃の私は、hyphenなんて言葉を知らない。
ファンがこんなにたくさんいることを知らない。彼らがジャニーズ事務所のアイドルということを知らない。彼らが他のhyphenにどんな言葉で想いを伝えていたのか知らない。
私は、偽物の親戚に遊んでもらっていた。それだけだった。